【検証】 相撲の強さの秘密とは? 体格の視点から その二

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その1からの続き

体重から見た力士

 それでは身長は決定的な要因とは言えないのだろうか?

 体格のもう一つの要素に「体重」もある。

 人によっては「身長より体重の方が重要だ」という意見もありそうである。

 確かに相撲という競技は相手を押し出すか、転ばして土につけねばならない。
 上背のあるなしより、重たい方が有利という主張は説得力がある。

 過去の巨漢の外国人力士の姿も思い出される。
 上背は並でも重戦車のような体格だと強そうな気がする。

 評論家にも背は低い方が重心が安定するいう説を唱える人もいる(筆者は柔道をやっていた経験があるが、上背が高い選手は背負い投げなどにもはまりやすい一面はあった。名選手が新人にうっかり背負いを決められる番狂わせも時折起きる)。

 相撲もまわしをつかみ相手の懐に入る。上背が高すぎるのも逆に不利益が出てくる可能性もあるかもしれない。

 しかしこの「体重」を詳細にたどって行っても面白い事実が浮かびあがるのである。
 相撲での歴代体重のベスト10をあげてみよう。

1位:小錦 285kg 
2位:大露羅 273kg 
3位:山本山 264kg
4位:須佐の湖 240kg
5位:曙 232kg 
6位:武蔵丸 231kg 
7位:魁ノ若 230kg
8位:秀ノ海 229kg
9位:萬華城 227kg
10位:豊ノ海225kg

 トップはその巨体で相撲の歴史に残る小錦。現役の時は「ダンプ」などと呼ばれて世界的に有名だった。
 冒頭で紹介したように曙や武蔵丸横綱としては歴代で最重量)の名前もある。

 こうした有名力士には記録に残るような重量があり、こうすると体重が死命を制する重要ファクターとする主張は説得力がある。

 特に上位三人に至ってはほぼ300kgなのだから怪物クラスである。素人はバーベルを60kg持ち上げるだけでもふうふう言ってるのに、300kg近くの力士を倒せといわれると至難の技に思えてくる。

 しかしここで注意してほしいことがある。
 以下にあげるのは体重の歴代ランキングの続きである。11〜30位まである。

 力士の名前に注目して欲しい。どれだけ分かるだろうか?

11位:富ノ華 222kg 
12位:大喜 221kg 
13位:藤縄 215kg
14位:徳真鵬 214kg
15位:大松田 214kg
16位:前田 213kg
17位:大空 211kg 
18位:福寿丸 210kg
19位:龍帝 210kg 
20位:福司 210kg
21位:大乃国 210kg
22位:旭光 208kg
23位:安寿 207kg
24位:諫瑞喜 206kg
25位:鶴賀 206kg
26位:高見山 205kg 
27位:高見州 205kg 
28位:玄海鵬 203kg
29位:久島海 203kg
30位:荒若 202kg

 30位まで全て200kg超えているのはさすが大相撲という気がするが、力士の名前でどれだけ判断できるだろうか。

 相撲好きなら多少見覚えがあるかもしれないが、普通の人間にはあまりなじみがないだろう。

 それもそのはずで力士人口は何百人も居る。一般人にまで覚えてもらうには、かなり出世しなければならないのだ。

 真相を明かすとこの中で幕内まで昇進できたのは8人しかいない(33位まで入れると9人)。十両まで含めても13人だ。

 要は大半は一人前とみなされる十両までも到達できていないのである。

 例えば第二位の小錦に継ぐ体重を誇る大露羅。
 身長193cmで270kgもあるのだから小錦に劣らないモンスターだ(ちなみに今の現役力士で最重量)。
 ロシアのブリヤート出身で東欧系力士としては記念すべき第一号である。

 遠い異国からやってきて、相撲という独特のしきたりの残る世界で生活したパイオニアとしての功績はあるだろうが、彼の成績は見逃せない。

 並み居る東欧系力士の中でも大露羅は最重量である。一番重い。
 だが成績は「三段目が定席」と辛口の評価を与えられてしまっている。(最高位は幕下四十三枚目)。

 彼よりも身体が軽くても昇進を重ねた他の東欧系力士(大関まで昇った琴欧州把瑠都、小結の黒海)との違いが目立つ。
 そう、皮肉にも最も体重に恵まれた大露羅が、最も成績に恵まれないのである。

 横綱に絞るともっと顕著だ。
 相撲の環境や力士の条件が現代と近い昭和以降に限定しよう。
 32代の玉錦から70代の白馬富士まで39人。

 個々の体重の平均的な記録を見ると150㎏を超えていたものは13人しかいない。
 160㎏超は7人であり、170㎏超えとなると3人(大乃国203㎏、曙232㎏、武蔵丸223㎏)で実質200㎏超である。
 つまり170〜190代は極めて少なくなり、150㎏未満が横綱では最多となる。

 身体が重いからといって必ずしも上に行けるというわけではないのだ。

 成績でもそうだ。
 確かに大柄な武蔵丸や曙は最高優勝は12回、11回と優良な成績である。
 しかし彼らより小柄な千代の富士31回、北の湖24回、大鵬32回、輪島14回、貴乃花22回、白鵬25回である。彼らに劣らない。

 朝昇龍も不祥事により引退しなければもっと記録を伸ばしたかもしれないが、体格も身長184cm、体重148㎏で歴代横綱でも中程度なのである。
 あれほど強さを誇りながら特大級の巨漢というわけではない。

 また面白いのは名横綱として歴史に名を残し、人々を沸かした力士の体格である(明治頃は平均身長の問題もあるのであえて除く)。

 昭和以降、冒頭の栃木山以外にも常陸山175cm・145㎏、双葉山179cm・135㎏、「若錦時代」を築いた初代若乃花179・107㎏、栃錦178cm・120㎏など、そこまで巨漢でない。

 当時から大柄な力士はいたのだ。
 彼らを上回る巨漢横綱も成績で見ると下回っていることも少なくない。

 横綱の世界でさえ「大きいから」「小さいから」だけでは説明がつかないのである。必ずしも体格と成績は比例しない。
(ちなみに「小さい横綱」と言われながらも名を残した千代の富士は、小結までは100㎏に満たなかったそうである)

 また現在横綱の一角を張る日馬富士も185cm、133kgである。2013年幕内最軽量だった隆の山が十両に陥落した時は、一時幕内の最軽量力士となった。
 戦後で横綱が幕内最軽量なのは千代の富士以来だという(日馬富士自身は「小さいことは言い訳にならない」と主張する)。

 また横綱同士でなく、対横綱でも面白い事実が見られる。
 前に紹介した鷲羽山北瀬海以外にも、圧巻なのが安芸乃島(175cm、155㎏)である。

 一時幕内で最低身長になったことがありながら、金星(平幕が横綱から勝利を奪うこと)の獲得数は16個と歴代最多である。
 往時は上位キラーとしての名は不動であり、実に対戦した横綱全てから勝利をもぎとっている。

 とりわけ面白いのは、史上最大の体重を誇る小錦を一番苦しめたのが安芸乃島という事だ。
 対小錦戦の通算成績は25勝10敗。まさに得意とする相手であった。実に小錦横綱昇進を阻む壁でもあった。

 他にも200kgを超えていた大乃国とも因縁がある。実に安芸乃島が入幕して初金星をとった相手であり、調子を落としていた大乃国安芸乃島に打ち破られて引退を決定した。
 ちなみに安芸乃島の現役最後の金星も新横綱になって勢いに乗る武蔵丸からで、引退間際でも対横綱戦の強者でもあった。

 ちなみに三賞の受賞者としては歴代最多の19個を誇り、この記録は今でも破られていない。

 皮肉にも小柄な安芸乃島が一番苦手とした相手は、同程度の体格の琴錦(177cm、142㎏)であった。実に9勝39敗(特定の相手との連敗記録に残る)と苦戦し、念願だった初優勝も琴錦に阻止された。また引退の原因ともなった肘のケガも対琴錦戦が原因である。

 相撲の勝負の妙について考えさせられる事例である。

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身長体重は一つの要素

 もちろん大柄でも上位力士も居るのだから、単純に懐に入れるとか小回りがきくとかいった話ではない。
 もろ差しなどは小柄で重心が安定している方が差しやすいとも言われるが、深く差せば閂や投げを極められやすいリスクもある。
 戦術的な側面から考えてもどの体格も一長一短はあり、一方的に有利とは言えない。

 また同程度の体格の勝負ではそうした身長体重による理由付けもできない。

 むしろ身長体重の数字で判断することを改めるべきかもしれない。

 相撲全体を通して次のことが言えるのではないか。
 身体の大きさは重要な要素である。しかし決定的なものではない。

 「小柄で上にいけたとしてもそれは例外であり、ごく選ばれた少数だろう」という考えはおそらく正しいだろう。しかし同じく「大柄で上にいけるのも例外であり、ごく選ばれた小数」なのである。

 新弟子検査に通るか通らないかのぎりぎりの身体で頂点近まで到達する者もいれば、逆に並外れた体形に恵まれてもパッとしないこともある。

 何百人も居る力士の中の昇進できる一握り。
 それは単純に身長や体重の大小だけで分けられない。

3
巨人力士の秘密

 最後に長身力士について付け加えておきたい。

 先に紹介した2メートルを超える高身長力士たちには、ある逸話がある。
 なんと、ほとんど取り組みを行っていない巨漢も多いのだ。

 衆目を集める「看板力士」として土俵入りだけ行ったり、巡業時のいわば宣伝要員としての役割が大きかったのである。

 そして更に注目すべき点がある。短命や病弱な者が多いことだ。

 例えば生月鯨太左衛門は享年23才。脚気か瘡毒が原因といわれる。龍門好五郎は37歳。大空武左衛門も37歳で没だ。釋迦ヶ嶽雲右エ門は27歳である。
 いくら江戸時代とはいえ早すぎる寿命である。

 明治以降も似た傾向が見られる。有名な出羽ヶ嶽は両脚の負傷に加え脊髄カリエスとなって三段目まで陥落した。

 不動岩は下半身が弱く内臓疾患に苦しめられて39歳で死去している。
 三段目ですぐに廃業した白頭山は、病気が原因で背骨が歪んでおり、実は最初から相撲部屋入門を固辞していた人材だった。

 大関まで行った大内山は成功した方だが、膝を故障し、顎が肥大して噛み合わなくなるという奇病で大関を陥落した。

 相撲に怪我はつきものながら、なぜここまで病弱な人間が多いのか。
 並の人間よりも壮健な身体を所有しているはずなのに、なぜ振るわないのだろう?

巨人症という病

 実はこうした人々は「巨人症」だった可能性が高いのだ(主に腫瘍などが原因で過剰に成長ホルモンが分泌される病気)。

 現代でも巨人症の傾向がある人は感染症や内臓疾患に陥りやすい。適切な治療を行わないと、スポーツで大成しないどころか背骨や足腰を痛め、日常生活にも支障をきたす場合もある。

 特に昔は医療技術が未熟で、まともな健康知識や抗生物質などもない。巨漢力士に病弱の影がつきまとっているのも頷ける話なのだ。

 226cm、180㎏あったいう釋迦ヶ嶽は存命中から「病人のように顔色が悪かった。目の中がよどんでいた」といった言い伝えが残ってる。
大内山の顎の病気も巨人症の人によくある「末端肥大症(身体の特定の場所だけが大きくなったり変形する症状)」であったとされる。

 つまり「巨体で強い」どころか人並みより病弱なことも少なくなかった。見かけの体格は必ずしも実際の強さと直結していなかったのだ。

 実際に相撲界では「あまりに大きい力士は大成しない。脆い」という口伝えがあったそうである。

医学的な視点

 相撲診療所の医師であった林盈六氏によると、相撲の強さには身長や体重だけでなく速筋(すばやい動作で使う、瞬発力などを司る)、遅筋(継続的な動作を行い使う、持久力などを司る)も関わってくるのではないかとしている(筋肉の量は増やせるが、質は遺伝的に決まっていてトレーニングでも変えにくいとのこと)。

 もちろん心肺機能と性格や体格なども加味されるべきとするが、相撲は通常数十秒で決着がつく。速筋が多い力士が優位な傾向があるという。

 林医師のもう一つの面白い指摘としては、たとえ体格に恵まれなくても、筋力など何か特定の抜きんでた所があれば出世していた、という点である。

 例えば小柄だった千代の富士などは握力が100kgを超えており、それがあのお手本のような見事な上手投げ(腕力、脇力、握力三拍子揃うのが必要)を生んでいたという。

 同じく入門当初は軽量に苦しんだが、「鉄の爪」とまで呼ばれた怪力で投げと寄りを得意とした出羽の花も握力は100kgを超えてり、力士としては成功して関脇まで昇った。

 他にものど輪や投げ吊りで一世を風靡し、そのパワーから「北海の白熊」とまで呼ばれた北天佑、豪快な上手投げがトレードマークだった魁皇も握力が100kgを超えていたそうである。(押し相撲中心の力士は握力はさほど鍛えられてない。50〜60程度も多いとのこと。そうした例と比べるとかなり飛びぬけている)

 また177cmで115㎏であった陸奥嵐の話も面白い。
 トラック運転手でたまたま相撲部屋を見学していてスカウトされ即決したという面白い経歴の持ち主だが、小柄なのとあごを上げて相撲をとる癖(あごをあげる力士は強くなれないとされている)があり、最初はあまり評価されていなかった。

しかしトラックの運送で鍛えたのか、背筋力が280kgを記録しており、林医師は周りの評価に反して出世するとみなしていたそうだ。

 結果は予想通り順調に入幕を達成し、関脇にまで到達した。
 その背筋力を活かした吊り出し、河津掛けで聴衆を湧かし「東北の暴れん坊」と呼ばれた。(ちなみに前にあげた小柄な関脇鷲羽山も背筋力は280kgあったという。また吊り出しと言えば「起重機」との異名を取るほどだった明武谷も、背筋力が機械の測定上限を超えるほどだったという。確実に300kg以上はあったそうで、それが関脇までなれた一因かもしれない)


 冒頭にあげた栃木山太刀山も共に怪力伝説があったのは興味深いところである。
 太刀山は「突き押しの力士は安定しない」というジンクスを打ち破り、無敵の双手突きを編み出した。
 数々の相手を土俵外に突き飛ばして再起不能にしたため、しまいには一門内でも稽古をつけてくれる相手がいなくなったという。他にも周りが動かせない500kgある砲弾を一人で軽々と運んだなどの逸話も残る。

 栃木山も似ていて、力が強すぎて取り組み相手が悲鳴をあげたとか、女性を片手で持ち上げたなどの話が残る。太刀山との勝利もこの怪力が働いたのかもしれない。

栃木山が示したもの

 実は太刀山栃木山の一戦では、太刀山が薬指を負傷していたとの説もある。この話を支持するなら伝説の勝利は幸運によるものであって、実力ではないということになる。
 本当かどうかその後の栃木山を見てみよう。

 翌場所でも順調に勝ち越して初優勝を遂げる。大関昇進も果たした。
 以後は全ての場所で優勝争いに絡み、五場所連続優勝の記録も作った。
 横綱に昇進を果たすまでに実に九回の最高優勝を果たしている。

 横綱となってからも体格はさほど変わっておらず、現代から見ると歴代横綱として最軽量を記録している。

 しかし栃木山は幕内での勝率は8割を超え、横綱在位中も9割を超えた。
 これは相撲史上ほぼ唯一と言っていい(白鵬は未定)。今もってしても簡単に破れない記録を打ち立てたのだ。
 また引退して数年後の全日本力士選手権でも現役力士たちを破って優勝するなど、実力が確かな所を示した。

 小結で大波乱を起こした平凡な体格の関取は、結果として太刀山と並ぶ名横綱となったのである。

 自身の相撲の成績によってあの一戦がまぐれではないことを証明したのだ。


エピローグ

 太刀山栃木山
 外面的には対照的な二人であるが、相撲界の「古今十傑」が選ばれる際は必ず名が上がる。「最強の横綱」候補でも常連であり、両者とも不世出の名横綱であるのは揺るがない。

 相撲の「体格」に関してこれほど明快にイメージを打ち破る答えはないと思われる。

 ともすれば相撲は大柄な人間が目立ち、安易に強さに関連付けてしまいがちだ。
 しかし相撲における「強さ」は、より複雑で多様な要素が絡んでいる。「見かけ」は一つの要素でしかなく、体重や身長だけでは語れない。

 むしろ本当の強さの源泉は外から見えない部分にあるかもしれず、そこが格闘技としての相撲の奥深さと妙味を作り出しているのかもしれない。